Stiff Slack

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HAYMARKET RIOT Interview

2006/03/25

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Q1.それじゃまずはまだ知らない日本の皆にHAYMARKET RIOTの自己紹介、結成から今までの歴史をざっと教えてくれない?

A. 僕はケヴィン(KevinJ.Frank-Vo/Gt)、HaymarletRiot(以下HR)で大半のヴォーカルを取ってる。1999年にFredPoppolo(フレッド-B/vo)と一緒にこのバンドを始めて、2003年からChrisDaly(クリス-Gt)が、2004年からBrianWnukowski(ブライアン-Ds)が参加してくれてる。今までに2枚のフルアルバムと数えきれないEP/7インチ、それとたくさんのコンピに参加して来たよ。
ツアーは北米大陸の大半とヨーロッパを回って来てて、日本はこの4月が始めてだよ。

Q2.HAYMARKET RIOTの名前の由来について、メーデーの起源と言われるこの歴史的事件から名前を取った理由は?

A. マイク(結成当時のギター)が言い出したんだ。彼はその事件についての新聞記事を見て僕らのバンド名に相応しいと思ったんだ。僕らはアグレッシヴな音楽が好きだったし全員シカゴ出身だったから、この名前は自然と馴染んだよ。この暴動が起ったのは実際は1886年5月4日なんだ。当時アメリカの労働者は労働環境の改善を強く求めていて、ヘイマーケットの暴動はそういう労働者の意識に国内外の注目を集めたんだ。でもこの暴動、他の国では労働運動の重要な一事件として捉えられてるんだけど、アメリカには"メーデー"はないんだよね。

Q3.HAYMAR~を始めるきっかけがあったと思うんだけどどんな感じで始まったんだろう?その時はどんなサウンド/姿勢を目指してた?

A. (きっかけ/経緯)90年代半ばから後半頃、フレッドと僕はよく月曜の夜にビリヤードしに行ってた。ある時彼がゲームの後に「ビリー(初代ドラマー)と三人でバンドやらないか?」って言って来たんだ。その当時僕はTralumaで忙しかったんだけど頭の片隅にはその事が残ってた。で、クリスもよく一緒に遊んでたんだけど、皮肉な事に彼のバンドもその時解散してたんだ。
Tralumaは1999年の夏にライヴ活動を休止してて、その頃一緒に何曲か作っていたマイク(初代ギター)に、フレッドとビリーと一緒にやるのはどうか?って持ちかけたんだ。で、1999年7月20日に集まって、マイクと僕の曲を2曲演奏したよ。その後また少し練習して、5曲作って9月にはスタジオでレコーディングを始めたんだ。
(サウンドについて)バンドの方向性について、「どういう音にしよう」とか話し合った事は一切無いねぇ。出てくるまんまだよ。

Q4.日頃、どうやって曲を作ってる?

A. 特に決まった方法は無いな。例えば新しいEPの"Dead Wall"はスタジオで4人全員で作ったし、"Grand Canyon"は僕が持ち込んでみんなが納得いく迄再構築していった。僕らはお互いのアイデアに対してオープンなんだ。そう、アルバム"Mog"の"You Might Know Who We R, But We Know Who You R"はメインのギターリフをフレッドが作って、そこから曲に発展させていったね。色々だよ。

Q5. 今回stiff slackからリリースするEPのレコーディングでのエピソードは何かある?しんどい場面なんかはあった?

A. 凄くスムーズだったよ。EPの曲は前のヨーロッパツアーでも演奏してたから凄くいい感じで、それぞれ1,2テイクでOKだった。お陰でギターやら何やら少し重ねる事が出来たんだ。エンジニアのScott(スコット)との相性もあるかな。彼の事はずっと知ってるし彼もHRをどうしたら良いかが解ってるからね。あ、そうだ、スコットはJust A Fireでクリスと一緒だったんだよ。

Q6.現在のシカゴシーンや回りの友達について教えて。

A. シカゴには色んなシーンがあるけど、HRはどれにも属してない。誰とでも一緒にやるし、"徒党"や"シーン"とは無縁だね。僕らはただ"ロック"したいだけなんだ。以前はFireside Bowl(ファイアサイド・ボウル)てトコで最低でも年に2回はやってて、市内では一番のall ages club(※客にも出場者にも年齢制限のない会場)だったんだけど、週に4,5本だったショウをやらなくなって(多分今は月に1,2本)から、市内に若いバンドが出れる場所が無くなってしまった。確かにシカゴには沢山の会場があるけど、Firesideほど気軽に出演出来る所は無かったんだ。

Q7.ツワーやレコーディング等、長期間仕事を休業する事が多々あると思うんだけど、皆はどんな仕事を普段しているの?バンド(音楽)以外の普段の過ごし方、趣味なんかも聞きたいな。

A. 僕はフリーランスでグラフィックの制作に関わってて、休みは好きな時に取れる様になってる。フレッドは建設会社を経営してるよ。(@え~!?自営の大工???でもそうとしか訳せん...)、クリスは画家で、救急救命士になる為の学校にも通ってる。ブライアンもグラフィックの分野で仕事をしていて、Cougarsでドラムも叩いてる。僕は休みの時は野球の試合を観に行くね。ホワイトソックスが大好きなんだ。年に15~20試合は観に行くよ。昨シーズンは何とホワイトソックスが1917年以来のワールドシリーズ出場で、プレーオフは2試合観に行った。最高の気分だったよ!!

Q8.ケビンにとってバンドのインディペンデントな活動方法やそもそもバンドや音楽ってどう考えてる?

A. 僕に関して言えば、歳をとってちょっと飽きてきてるかも知れない。
僕の若い時に観た様なテンション/エッジ/ソウルで演奏してるバンドは観られなくなったね。どうも全部人為的に加工された感じがして退屈なんだ。今でも熱い物を持ってるバンドはいるけど、やはりそんなに多くはないな。あと最近感じるのがメジャーレーベルみたいに活動してる"インディー"レーベルが結構いるって事。つまり、始めた当初は音楽第一だったのに時が経つにつれて派手なだけのうるさいバンドや目新しいだけのバンドと契約を結んで、音楽そのものよりもレコードの売上げを重視する様になってるんだよね。

Q9.ケビンはTHE SKY CORVAIR(JOAN OF ARCのティムキンセラやBRAID/HEY MERCEDESのボブナンナが在籍)、GAUGE(EUPHONEやる前のライアン在籍)、RADIO FLYER(HOOVERのアレックス在籍)、その他、TRALUMA、SWEATER WEATHER、THE KIWI WALTS等色々やっていたのは聞いてたけど、その時々のエピソードなんかあれば教えて欲しいな。

A.
Gauge;
二度目のUSツアーの時、カリフォルニアはバークレーのギルマン通りでJawbreakerと一緒のショウがあった。最初の曲の途中で僕の膝がおかしくなってしまって、ライヴが終わった後で病院へ行ったんだ。松葉杖をもらって帰ったんだけど翌朝には腫上がって歩けなくなってた。まだツワーは3週間半も残ってたんだけど、膝の所にギブスをはめて残りのライヴをやって、自宅に帰ってから外科に行ったよ( http://www.scallen.com/071301.html参照)。その後も3回ツワーをして、1994年に解散した。

SkyCorvair;
このバンドは長続きしなかったな。結成はGaugeの解散直後だった。ティムはまだCap'n Jazzをやってて、ボブは3つ4つ掛け持ちしてた。ニールと僕はツワーをしてレコードを出したいと思ってたけど実現しなかったな。ティムは5ヶ月で辞めてAlex Stisserが入ったんだけど、結局そのまた3ヶ月後には解散してたよ。

RadioFlyer;
Gaugeは何本かHooverと一緒にやる事があって、僕はアレックス(AlexDunham)のギターに惚れ込んでしまったんだ。で、1995年に彼に電話して「一週間くらいシカゴに来て一緒に曲を書かないか?」って誘ってみたんだ。Gaugeで一緒だったライアン(RyanRapsys)にドラムを叩いてもらって、ポール(Paul Obrecht)にベースを弾いてもらった。( http://www.strangeproportion.com/personal/sw/sweaterweather.html参照)4日間で7曲作って録音してライヴもやった。1997年にまたやってみようとしたけど実現しなかったね。

Q10. Divot Records、Thick Records について少し教えて。

A. フレッドと僕がDivotを運営してる。90年代半ばからレコードを出して来たけど、昨年11月にアクシデントがあってね。不運にも火事で在庫の殆どを失ってしまって、マスターテープもダメになってしまって、経済的にも運営は難しくなってしまった状態だよ。ThickRecordsはシカゴの郊外にあったんだけど、昨年からLAに移ってしまったんだ。Divotで2枚のEPを出した後の2001年に声をかけてくれて、他のレーベルからも話はあったんだけど一番興味が持てたからアルバム2枚で契約したんだ。"Bloodshot Eyes"と"Mog"はThick/Divotからリリースしてる。

Q11.HAYMAR~自体積極的にツワーをしているけど、自国でのツワーやヨーロッパでのツワーのエピソードを何かあれば教えて貰いたいな。

A. ヨーロッパはアメリカに比べてインディペンデントな(より"スモール"な)バンドに対するサポート体制が優れていると思うね。2002年以降、全米を網羅したツワーはしてないけど、ヨーロッパは二回まわったよ。もちろん今でも国内で演奏はするけど、殆どが地元だし、遠征しても2~5日位だね。経済的にそれ以上は厳しいのが実情だよ。現実問題として仕事を2~3週間休む事を考えるとヨーロッパに行ってしまった方が良いし、案外経済的にも負荷が少ないしね。オーディエンスの反応はそう変わるモンでもないし、実際に最近のベストに入るショウもヨーロッパでの事が結構あるね。

Q12.国外をツアーする事の意義は?そしてケヴィンがその先に見てるものって何?ここ5,6年、インディーバンドにとって日本はツワーしやすくなってるし、実際多くのバンドがアジア圏での活動を視野に入れてる状況だと思うんだけど、意地悪な言い方をすれば飽和状態とも取れるし、過分に商業的要因が強い気もするんだよね。(もちろん今回の事を言ってる訳じゃないよ。今回は僕ら互いの尊敬と友好関係の上に成り立ってるんだから)Balloonsもアメリカをツワーして日本との違いを感じたけど、例えばクリスとか来日経験のある人達はなんて言ってるのかな?そしてケヴィンはどう考えてる?

A. クリスがJust A Fireのツワーから帰って来た時、日本の事を絶賛してたよ。全ては見事にオーガナイズされていて、彼らにも気分よく接してくれたってね。僕らはショウに関わってくれる人々には、どこでやっても常に敬意を持って接する様にしてて、こういう関係って凄く大事だと思うんだ。で、残念だけど確かに飽和状態ってのはあるよね。以前より、例えば10年前よりバンドの数は増えてる事も一つの理由だと思うし、米国内でツワーするのはヒドい状況だってのもあると思う。だからそんなに有名でないバンドがツワーしようと思うと、どうしてもヨーロッパや日本に目が行くんだと思う。扱いも良いし、ショウ自体もより良く出来るからね。アメリカはもうずいぶん前に飽和状態になっていて、そこから他の国に流れて行くのは時間の問題だったんじゃないかって言うのが僕の意見だね。

Q13.普段どんな音楽を聴いてる?お気に入りとか(もしあれば)お勧めを教えて。

A. 何でも聴くね。まぁロックな感じのが多いけど、メロウなのも好きだよ。
最近聴いてるのは、Criteria, Explosions in the Sky, Government IssueそしてAC/DCかな。

Q14.それじゃ最後に、日本で待っているファンに一言!

A. Are you ready to rock?

KevinJ.Frank / HAYMARKET RIOT

インタビュー:フジモト兄(BALLOONS)
対訳:塩川タケシ(BALLOONS)

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